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第一章
KIMURA理念(無駄についての考察)
1.無駄のないもの
工業機械には一切の無駄がない。それ故あの独特の冷たい緊張感
が生まれている。使い易い工業機械にある独特のあれである。ユー
ザを完全に技術者へと絞り一切の説明を排除したアフォーダンス作
りは「機能美」という言葉がこの為に作られたのではないかと感じ
させる程美しい。しかしながらこの冷たい機械によって我々の温か
い未来が作られているのもまた事実である。
2.無駄をつくる
それは一見何の生産性も見出せないとしばしば思われる。しかし
我々人間が他の動物と異なる点の一つに人間は無駄が多い事が挙げ
られる。(生きている事自体無駄だという意見は無視する)娯楽、
鑑賞、趣味など我々の生活には子孫繁栄の目的以外に多数の無駄な
目的が存在している。人間の生活にムダが無かったとする。そうな
ると人間は獣になるか機械になるかどちらかではないだろうか。人
間が人間である為にムダという「美」を忘れてはならないのである。
3.無駄によって生まれるもの
いくつか存在するが「余裕」が大きな割合を占めている。私の知
り合いで昔シボレーカマロ74年型を所有していた人物がいる。彼は
アメリカ車に乗ると心が広くなると語っていた。狭い道での追い越し、
裏道の走行など現行車では当たり前の事がその大きすぎる車体により
困難でいつの間にか渋滞が苦にならなくなったと言う。この考え方は
人それぞれではあるがこの逸話を聞いた限りでは正しくこれは「無駄
の美学」である。
人が車を購入する時に考慮する事、商用車は除くとして必ずしも物
理的な利便性だけで選んでいるとは限らない。デザインであったり、
年式であったり、思い入れであったり様々である。そこに「余裕」が
生まれる。ムダを所有する喜び、「無駄の美学」である。これにより
身体的、精神的な利便性が生まれ社会が円滑に動く。社会の潤滑油的
な役割を「無駄」が果たしているのである。.
4.クリエイタ−としての私の役割
無駄の無い物からムダな物をつくる。第一線で働く技術者の方々は
いくらかプライドが許さない部分もあるだろう。しかし人類が発明し
た偉大なる「無駄の美学」を絶やさぬ為には誰かがやらなければなら
ない。そういう事ならば一人のクリエイターとして私がその部門を引
き受けよう。幸い私はどちらもそれなりに受け止められる方である。
第二章,一項
ロボット世紀
21世紀というと連想されるのはまずロボットではないだろうか。ロ
ボットと一言で言うと容易だがその種類は星の数程ある。私の思うと
ころの21世紀のロボットとは二足でなければならない。そして人類
と共存できなければならないのである。
人類の夢、ヒューマノイド計画が進行中である。しかし手塚治虫先
生による「アトム」は当分先のことになるだろう。ハード面の開発、
つまり動歩行は殆ど完成に達している。しかしソフト面である人工知
能の開発は現時点では残念ながら未成熟である。 2003年4月7日
手塚治虫先生による二足歩行ロボット「アトム」が漫画の中では誕生
する事になっていた。しかし現実世界での誕生は現時点では残念な事に
未定である。私とアトムの出会いは小学校低学年のときだった。21世
紀になるとロボットが自分の家にやってくる,21世紀になるとロボット
が自分の家にやってくる。.そんな事を考えながら子供ながらに人類の
未来は希望に満ちているのだと感動した。
モビルスーツと言う響きは当時小学生だった私を昇天させ続け
た。大人になると操縦できるものだと思っていたが現時点では市販の
予定はないそうだ。
2000年本田技研が開発した二足歩行ロボット「ASIMO」が発表される
と惜しみない称賛と共にいくつかの批判が巻き起こる。その軽やか
に歩く立ち振る舞いはまさに人間の姿そのものであった。人間が人間
を創ってはならない。その倫理観がロボットである「ASIMO」にむけら
れた。クローン技術と同様にロボットが人間であると認められた瞬間
であった。
「ASIMO」の一件を考えると人がロボットを受け入れる体制は殆ど
整っていると言っても過言ではない。しかしながら我々を取り巻く
「文化」の面では軽やかに歩くASIMOとは裏腹に迷走している感は否
めない。まず我々が行わなければならない事は、来るべき未来に向け
ヒューマノイドへの文化の構築である。
ヒューマノイドが誕生するということ、それは我々が夢にまで見た
「21世紀」が来ると言う事なのである。
第二章,二項
OT-シリーズについて
現代のヒューマノイド計画。それは人間と同様、言い換えれば全く新し
い生物を想像すると言う事である。
もしも人類が人工知能の開発に成功したとすればそれは我々人類が新しい
生物を生み出す事が可能になったと言う事である。
今の段階では未知であるがそれは機械という枠を越え一つの人格、人権を
作るという事である。言わば新しい子孫繁栄の手段となって行くのではと
私は考える。それが良い事なのか悪い事なのか全くわからないがこれは非
常に興味深い分野である事に間違いない。
話は少し変わるが、単純な駆動、単純な機構による機械の動作は単純な
ものになると思われる。しかしちょっとした要素を加える事によって全く
イレギュラーなアクションを引き起こす事ができる。ここでいう要素とは
地面との接地面をフリーにする。つまり外的に固定するものが何もない状
態である。こうする事で単純な動作に予測できない動作が生まれる。一定
の動作を続ける機械であるにも関わらず何が起きるかわからないところに
面白さが生まれると私は考える。次の動作の予測が困難なもの、それは生
物的な動作と言えなくも無い。つまり何が言いたいのかというと内部が機
械的に動作していたとしても実際の動きが生物的なのである。その環境に
より動きが変わってくる。外的な要因で全く見当もつかない動きを見せる
ロボットは殆ど生物である。社会的には全く意味のない物かもしれないが
生物とはそういうものでは無いだろうか。OTシリーズとは私なりの生物の
創造と言えなくも無い。そこまで壮大なテーマでは無いがヒューマノイド
と同じく私なりの子孫繁栄の手段であるのかもしれない。ロボットは人類
にとっても私にとっても全く未知の分野であるが故とても興味深い。
OT-1,PEACE WALKER
当初の目的である二足で歩くロボットの1号機である。
歩行を完成するまでに二ヶ月を要したがその結果ニ足ロ
ボットと言うものを確立する事に成功した。OTシリーズ
のノウハウは全てこのOT-1から始まっている。
その後みせ方を確立するまでに三ヶ月を費やし約半年
をかけ作品として完成する事となる。
リモコン制御、毛皮、身長等やるべき事は全てやったと
思われる。私はこのおぼつかない足取りのロボットを文
明を持った人類が過去を見つめ直す要素、つまりこの
OT-1を人類が二足で歩き始めた原点に照らし合わせ、現
代の平滑化した社会を見直し人類が持つ平和的思想を取 り戻すアレゴリーとなるようこのOT-1を「PEACE WALKER」 と名付けた。
OT-2
OTシリーズニ号機。OT-1で培った技術によりその足の角
度や体重のバランス等全てにおいて完成されたクオリティ
を誇る。スイッチはコード差し込み式でスイッチを入れる
とまるで新しい生き物を散歩させているような気分になる。
現在E氏が保有している。
OT-3
少し視点を変えより小さくを目標に開発した
まさに子供のような立ち振る舞いで見る者の母
性をくすぐって止まない。ロボットに愛情を注
ぐ行為、それは異常かと思われるかもしれない
が人間とはそういう生き物であり全てに対して
愛情を持てるのは人間の特権である。
第二章,三項
OT-X計画
誰もが夢見た人を乗せて歩くロボットであるが21世紀になると皆それに
乗り生活するものだと思って生きてきた。しかし21世紀になり数年経つが未
だ誰も乗っていない。むしろ開発されている気配すらない。そういう事なら
ば私が先陣を切って製作を開始したいと思う。ないものをつくるのは我々ク
リエイターの使命である。これにより各メーカーの重い腰をあげる事になる
だろう。
エンジンの必然性
エンジンの用途として主なものが利便性を追求した工業機械として
の用途である。車、飛行機、船舶、農業機器、発電機など20世紀のうちにエ
ンジンでできる事は統べてやり尽くしたと思われている。しかしどうだろう、
その優れた能力はまだまだ用途を拡大できるのではないか。例えばモータを
使った工作キットは年にいくつか新製品が発売され続けている。それを考える
とエンジンは少々持て余している感がある。しかしエンジンの持つ性能をこの
まま使わない手はない。今までモータで製作していたOTシリーズをエンジンに
する事により、動力の回転数をユーザの任意で容易にあやつる事を可能にし、
屋外での使用を実現させる事ができる。そして何よりエンジンの新しい可能性
を提案することが狙いである。
第二章四項 エンヂンについての考察 1781年ジェームズ・ワットの蒸気機関により産業革命が起こる。そして
1886年ゴットリーブ・ダイムラーによりガソリンエンヂンを搭載した自転車
が発表される。世界初のガソリンエンヂン自動車である。 私が「エンヂン」と言う動力に惹かれる理由として非常に生物的な機関で
ある事があげられる。「吸気、圧縮、燃焼、排気」のサイクルは生物の「食
べる、消化、吸収、排泄」のサイクルに酷似している。そしてその動作も非
常に生物的で天候に左右されれば気温にも左右される。非常に不安定な動力
ではあるが現在では改良が重ねられ安定した動作を得る事に成功している。
エンヂンとはまさに生物であると考える事が可能である。人類が技術力を駆
使し創った新しい生物の一つのかたちである。ヒューマノイド計画の一つと
してこの内燃機関をないがしろにする事はできない。私は技術者としてこの
機関を尊敬している。どのような状況下でも動き続けるエンヂンは尊く儚い。
KIMURAのヒューマノイド計画は各社の技術競争とは異なり「技術」により命
を吹き込まれた機械をメタファーに迷走するロボット社会に文化を与える事
を念頭に起き制作する。
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